雷と太陽

窓の外が光った。
少し遅れて轟く雷鳴に、女子の甲高い悲鳴が重なる。
妙に通る女子の叫び、オレ傘持ってきてねえよと騒ぐ男子、静かにしろという先生の一喝。窓ガラスを叩く雨粒の音がそれらを遠ざける。
わたしは外を見た。雨のために白く霞む校庭では、外で作業をしていたらしいどこかのクラスが撤収を始めている。校舎に駆けていく彼らは可哀想なほどに濡れている。わたしは六時間目のプールが潰れることを願いながら外を眺め続けた。

ホームルームが終わり、下校の時間になっても雨は止まなかった。

「榎本さん」

鞄の底に忍ばせていた黒い折り畳み傘を取り出した矢先、背後から呼ばれた。
振り返って、思わず顔をしかめる。
そこにいたのは、同じクラスの朝日奈照生。
明るく優しい、男子にも女子にも好かれるクラスの中心人物。そういう人物にありがちな傲慢さはなく、クラスの隅にいるような人たちにも親切で、嫌がらせをされていれば助けに入るし、かといって過剰に優しくするようなことはなく細やかな気遣いを見せる。要はいい奴だ。
けど、わたしは彼に好印象を抱いてはいない。

「……なに」

朝日奈の出席番号は一番、わたしは二番。クラス替えしてしばらく、朝日奈の席は廊下側の最前列で、わたしはその後ろだった。休み時間、朝日奈と仲のよい男子や、彼と仲良くなりたい女子が、わたしの席を占拠することが多々あった。そういう人たちは予鈴が鳴っても席に戻らない。わたしがどくように言うと彼らは不快そうな表情をする。迷惑しているのはこっちだというのに。

「傘、忘れちゃってさ。入れてほしいな、なんて」

「なんでわたしが」

「朝日奈くん。と……、榎本さん」

砂糖をたっぷり入れた紅茶のような甘ったるい声がした。可愛らしいピンクの折り畳み傘を手に持った長谷川くるみが、小走りでこちらに――というより朝日奈に駆け寄る。

「傘持ってないの? あたしのに入れたげよっか」

小首をかしげた拍子にお下げが揺れる。おっとり清純そうな素振りで、眼鏡の奥の瞳は冷ややかにわたしを見ている。

「じゃあ、わたしはこれで」

これ幸い、とばかりに傘を広げ、昇降口を出る。
背後から感じる視線を遮るように傘を後ろへ傾け、急いで帰宅した。

 

この日も夕立があった。

「榎本さん」

聞き覚えのある声だ。返事をしたくなかったが、再び榎本さん、と呼ばれたので、仕方なく振り返る。
そこにいたのは案の定、朝日奈だ。
雨のために薄暗い廊下をぱっと照らすような男が、笑顔を浮かべて近づいてくる。

「今日も傘、忘れちゃって。入れてくれない?」

経験による学習、というのは、我が家の教えの一つだ。
すべての物事には原因と結果がある。成功に喜び失敗に泣くのではなく、なぜそうなったのかを考え、次に活かせ。母は常々言っていた。

席が朝日奈の後ろなせいで迷惑を被った。これはわたしのせいじゃない。
小五のとき、家が近所の男子が困っていたので、よかれと思って傘に入れてやった。翌日以降のことは思い出したくもない。これはわたしのせいだ。

「悪いけど、他を当たって」

同じ轍は踏まない。わたしは朝日奈を傘に入れない。
昨日雨に降られたばかりなのに傘を持ち歩かない朝日奈は、経験による学習ができていない。

「榎本さんにしか頼めなくて」

どうして朝日奈はわたしにそんなことを言うんだろう。
わたしと違って友だちがたくさんいて、頼めば傘に入れてくれる人なんかいくらでもいるのに。それこそ、長谷川とか。

誰かがいつでも助けてくれるから、朝日奈は学習しないのだろうか?

なんだか腹が立ってきて、開きかけていた傘を朝日奈に押しつけた。

「貸すから。明日返して」

「えっ? あ、榎本さん!」

降りしきる雨の中を駆け出す。わたしを呼び止める声がしたけど、聞こえないふりをした。

 

身体がだるい。雨に濡れたせいで風邪気味なのかもしれない。
プールを見学していたら、馬鹿な男子が「生理?」なんて聞いてきた。そいつに平手打ちを食らわせたら、なぜか近くにいた朝日奈がおろおろしていた。

下校時間になって、朝日奈が傘を返しに来た。
昇降口を出ようとして、わたしは足を止めた。ついさっきまで晴れていた空へ、黒い雲が押し寄せてきたのだ。
たちまち雨が降り出した。
朝日奈がなにか言いたげにわたしを見る。

「今日はわたしが使うから」

そもそもこれはわたしのものなのだから、朝日奈に断りを入れるまでもない、正当な権利だ。

「オレ、夏休み入ってすぐ試合があるんだ。風邪引いたら大変だからさ」

わたしはため息をつき、朝日奈に傘を押しつける。

――と、朝日奈がわたしの腕を取った。
突然のことに心臓が跳ね上がる。

「なんでそんな意地張るんだよ。オレのこと嫌いなの?」

「……別に、そうじゃないけど」

振り切って駆け出すのも面倒になって、わたしは朝日奈と連れ立って歩いた。
もし誰かになにか言われても、もうすぐ夏休みだ。それだけの日にちが空けば噂は沈静化する――と、思いたい。
ぱらぱらと雨粒が傘を叩く音がする。

「榎本さんて、雷みたいだよね」

「……褒めてるの? それとも貶してる?」

雷みたい、なんて言われて嬉しい人はいるのだろうか。それとも、みんなに嫌われて怖がられてるよ、と暗に伝えたいのだろうか?

「空に走る音と光。花火みたいで、綺麗じゃない?」

それに、と朝日奈が言う。

「オレは好きだよ」

「雷が?」

「うん」

変わってるな、と思ったが、さすがにそれは言わなかった。

「朝日奈……くんは、太陽みたいだね」

「それって褒めてくれてる?」

「たぶんね」

太陽と雷は相容れない。そういうつもりでわたしは言ったのだけど、朝日奈は気づいているだろうか。
雷鳴が聞こえる。
黒い雲の切れ間から、少しの晴れ間が見えた。

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