フィロを背にかばい、アサレラは扉を塞ぐように立つ男たちへ視線を走らせた。
この男たちがマドンネンブラウ騎士の言っていた盗賊なのだろう。まさか魔物よりも早く遭遇することになるとは思いもしなかった。闇の中へ浮かび上がるいくつもの剣が光を放ち、茨のように白く立つ。
速まる動悸を落ち着かせるためにアサレラは思考する。この滅びた町が盗賊たちの根城なのだろうか。それとも、町に入る前から目をつけられていて、ロモロが外出するのを待ち構えていたのだろうか。
どちらにせよ、アサレラの取るべき行動は一つしかない。
――どうにか時間を稼いで、ロモロさんが戻るまで耐えないと……!
一つしかない出入り口には盗賊たちが立ち塞がっている。戦えないフィロを守りながら十数人の盗賊たちを撃退することなど、アサレラには不可能だ。ロモロやリューディアだったら――と、忍び寄る雑念をかき消すように、アサレラは声をあげた。
「おまえたちが……盗賊だな」
眼前に構えた聖剣がランタンの光を反射する。
「……この町が滅びたのも……おまえたちの仕業なのか?」
「さあて、どうだかな」
薄笑いを浮かべた男が一歩前へ踏み出す。他の男たちと色の違う帯を額に巻き、ひときわ大きな刀を持つこの男が首領だろうか。
「兄ちゃんよ、おとなしくしてりゃあ痛い目に遭わずにすむぜ?」
アサレラが答えずにいると、首領風の男が目を眇める。
「仕方ねえな。ちっと痛い思いをしてもらうしか……」
「待て首領! こいつ……聖者じゃないのか?」
緊迫した空気を裂くようにあがった声に、アサレラはぎくりとする。
「バカ言え、聖者がこんなとこにいるはずねえだろ」
「けど、あいつの髪……銀色っぽくねえか?」
「た、確かに……じゃあ、まさか本当に?」
盗賊たちのあいだで割れるようなざわめきが走る。アサレラは振り返らないまま声を潜めた。
「……フィロ、きみはあの祭壇の奥に……おれが合図するまで隠れてろ」
「…………勝てるのか。おまえ一人で」
思いがけない返答の声に、アサレラは目だけで振り返った。
静謐な青緑色の双眸がランタンの光を浴び、夕焼けにも似た色を滲ませている。
アサレラが口を開きかけたとき、場を一喝する蛮声が響き渡る。
落雷の直後のように静まり返る中、首領の男がアサレラへ剣を向ける。
「答えはこいつに訊けばわかる、そうだな、あんちゃん」
「そうだ。おれはアサレラ。そして、この剣こそが聖剣レーゲングス」
目の前に掲げた聖剣へ数多の視線が注ぐ。
「おれを殺せば魔王に対抗できる人間はいなくなる。そうすれば世界は終わる……それとも、おまえたちが聖剣を担って魔王を倒すのか?」
アサレラこそが魔王に対抗できる唯一の存在であると知れば、盗賊たちは撤退するだろう。アサレラの使命はあくまで魔王パトリスとその配下を倒すことであり、盗賊退治ではない。
だが、本当にこれでいいのだろうか、という思いがアサレラの内にわだかまる。
今、盗賊たちがアサレラの目の前から消えても、彼らは新たな標的となる人間を見つけるだけだ。マドンネンブラウの抱える治安問題が解決するわけではない。
でも、とアサレラは思慮を巡らせる。
浅薄な正義の下にアサレラが死ぬのは、魔王を討つ希望が失われることと同じだ。イーリス大陸の民は魔王に滅ぼされるその日まで、苦痛と絶望に喘いで死んでいくのだろう。
あるいは、聖剣の持ち主が新たに誕生するのだろうか。だが、一度生まれた光が潰えてしまえば、人々は新たな聖剣の継承者を待つことすら耐えがたいのではないだろうか。
そうだ、おれ一人で太刀打ちできる人数じゃないんだから、こいつらが退くのを待つしかない――。
アサレラは胸底にこびりつく偽善めいた感情を必死に拭い去ろうとつとめた。
「てめえが死ぬかもしれねえってときにお行儀良くしてらんねえよなぁ?」
「そうだ! おめえが魔王を倒すまで腹減らして待ってなきゃなんねえのかよ!?」
「え?」
ぐるぐると巡る思考を破った声は、しかし想定していなかった内容で、アサレラはつい間の抜けた声をあげてしまう。
「お、おれは……そんなつもりじゃ」
思いがけない発言にたじろぐアサレラへ、盗賊たちがさらにたたみかける。
「聖者様よ、あいつらが死んだのはオレたちのせいじゃねえ。てめえが弱いから死んだってだけだぜ?」
「そうそう、あいつらが強けりゃオレたちゃ返り討ちよ」
その言葉で思い返されるのは、聖剣を手にする以前のアサレラ自身だ。
かつてアサレラも、魔物の存在をおのれの食い扶持程度にしか認識していなかった。力を持たぬがゆえに苦しめられる人々のことよりも、復讐を果たすことだけを胸に生きてきた。降りかかる火の粉を払う術を持たない人間が死ぬのは当然であり、生き残るのは正しい者ではなく強い者なのだと、アサレラは今でも信じている。
「明日死ぬかもしれねえんだ、聖者様も命知らずなことはやめて、もっと楽に生きたらどうだい?」
それでも、と、アサレラは、剣を握る左手へ力を込めた。
「おれの役目は魔王を倒すこと」
エルマーに託された聖剣レーゲングスは、すべての人々の希望を抱きアサレラの眼前で白い光を放つ。
「欲望のままに人を踏みにじり、それをなんとも思わないなら、おまえたちも魔王と同じだ!」
他の誰でもなく、おのれこそが戦うしかないのだと腹を決めた今、胸底で縺れていた重いものは不思議と消え去っていた。
飛び交う怒号と罵声をくぐり抜け、アサレラはひたすら剣を振るった。血を浴びてもなお光輝く聖剣が薄闇を切り裂き、一人、また一人と盗賊がどうと倒れていく。
脇から飛び出してきた盗賊の剣がアサレラの胴着を裂く。反撃に転じようとしたアサレラは、切れた布の隙間から銀色の鈍い光がちらりと走るのを見た。
「――あ!」
気を取られたわずかな隙に、刃が目の前に迫る。辛くも避けて均衡を崩したところを殴られ、踏みとどまれず床に叩きつけられた。アサレラに一拍遅れ、転がり落ちた指輪が乾いた音を立てて床に円を描く。
「手こずらせやがって、クソガキが!」
殴られた頬と打ち付けた左肩が痛む。だが今はそれどころではない。倒れたところを狙う盗賊よりも速く、アサレラは剣を突き立てた。
ぼたぼたと額へ注ぐ血も拭わないままアサレラは立ち上がり――目の当たりにした光景にはっと目を見開いた。
祭壇の奥へ潜んでいたはずのフィロが、その長い髪を掴まれ、引きずり出されていたのだ。
「……フィロ!」
全身を巡る血が凍りつくのを感じ、アサレラは立ちすくんだ。
「聖者様よ、こいつの命が惜しけりゃ剣を捨てろ!」
フィロの喉元へ剣を突きつけた男が叫んでも、剣を握るアサレラの左手はこわばったまま開こうとしない。
「やってくれたなぁ、聖者様……この落とし前、どうつけてもらおうか?」
気がつけば、十数人ほどいたはずの盗賊は三人になっていた。
「首領の仇、取らせてもらうぜ!」
首領の男もいつのまにか殺していたらしい。沸き上がる恐怖を押さえつけるように、アサレラは声を張り上げた。
「……さっきの理屈で言えば、おれのほうが強かったから、おまえらの仲間は死んだんじゃないのか?」
「ちげえねえ、だからこいつを人質に取ったのさ。オレたちゃ卑怯な盗賊だからな。さすが聖者様はお強くていらっしゃる」
「どうした、さっさとその剣を捨てな」
聖剣は持ち主の手から離れるのを拒むように、アサレラの左手を固く握らせる。
この騒ぎを聞きつけたロモロが突入の機会をうかがっているであろうことを信じ、アサレラは決断した。
「………………剣を捨てれば、そいつを解放すると約束しろ」
「ああ、考えてやるよ」
渾身の力を込めた左手がほどけ、聖剣が落ちる。堅く澄んだ金属音がステンドグラスのあつらえられた天井へ反響し、二重にも三重にもなってアサレラの耳を打った。
「さあ、さっさとそいつを放せ!」
ところが盗賊は薄笑いを浮かべたままで、フィロを解放しようとする素振りをまったく見せずにいる。
「おいおい聖者様よ、もうちっと頭使えよ。誰がはいそうですかっつって人質を放すと思うんだ?」
「ふ……ふざけるな! 話が違う!」
そのとき、突風のように飛び込んできたロモロが悲痛な叫びをあげた。
「フィロ! フィロ、よせ!」
「ロモロさん……!」
アサレラの思った通り、やはりロモロは反撃のために待ち構えていたのだ。これで事態が好転するはずだ、と緊張を解きかけたアサレラは、ロモロの様子のおかしさに疑心を抱く。なぜロモロは盗賊を攻撃するのではなく、ただ踏み込んできたのか。そしてなぜ、これほどまでに切羽詰まった声で息子の名を呼ぶのだろうか。
視線を動かしたアサレラは、フィロの長くゆるやかな髪が毛先から白銀の光を帯びていくことに気がついた。それは美しく、禍々しく、どこか懐かしい光だった。
ほどけかけた包帯の隙間から覗く聖痕が熱く脈打った、その瞬間――。
大地の唸るような低い音が轟き、足下から吹き上がる風が激しい咆哮を上げた。