第1話 銀の髪の剣士

重い頭が左右にふらつくのを、アサレラは感じていた。

「どうだい、兄さん。そのヘルム、古代のウルティア兵が使っていたというものだよ」

アサレラの頭部をすっぽりと覆う兜は確かに頑強だが、その分だけ鈍重である。
視線をあげた矢先に目を射る初秋の澄んだ日差しがまぶしく、アサレラは目を眇めた。

「……おれには、少し重いですね」

肘下まで覆うグローブに包まれた手で兜に触れると、側頭部から突き出た湾曲する角へ指先が当たる。
鈍い色に輝く胸当ての下に薄青い胴衣を着たアサレラは今、頭ばかりが異様に重たげだった。見た目にも不釣り合いであるし、実用的な問題としても、頭が重ければ戦闘の際によろめいてしまうだろう。

だが、アサレラには、どうしても頭を隠さなければならない事情があった。
頭というより、正確には――髪を。
露天商の老人が、アサレラへ笑いかける。

「確かにせっかく珍しい色の髪の毛なんだ、隠したらもったいないかもな」

だからこそだ――とは、アサレラは言わなかった。

「魔王を退ける聖剣レーグングスってのも、そういう色してるのかねえ」

切っ先のような銀色の髪は、顔も覚えていない実母から受け継いだものであり、今となってはアサレラと聖剣をこじつけられる発端となったものだ。

「まあ、うちの品揃えは王都一だ。兄さんが気に入る防具をじっくり選んでくれ」

アサレラは、無言で目を伏せた。
コーデリア城の謁見の間でコーデリア王トラヴィスが切々と語ったのは、つい昨日のことだ。
聖剣レーグングスを継ぐのは銀色の髪と、イーリス教の〈涙と茨〉の聖痕を持つ者である、と。

――アデリス……あの女が残したものは、どれもこれも最低だ……!

十七年前に行方をくらませた母アデリスを思い起こすと、アサレラの胸の底で怒りが沸き立ち、朝の広場の賑やかな音が遠ざかっていく。
アサレラが憎悪を抱く実父ロビン、実母アデリス、養母コートニー。
このうちロビンとコートニーは、燃えさかる炎とともに消えた。故郷のセイレム村は魔物によって滅びたのだ。
しかしアデリスは、生前ロビンが手を尽くしても、ついぞ見つからなかったという。
アデリスは――アサレラとロビンを置いて失踪したあの女は、どこかで平穏に生きているかもしれない。
そう気づいたとき、迸る殺意の矛先は寸分違わず母へ向けられた。

――アデリス……、きさまだけはおれが……!

「――お母さま!」

小さな手に右手をつかまれ、アサレラの思考は現実へ引き戻された。
アサレラの手首を引いたのは、神官らしき紺色のローブを着た子どもだ。
アサレラは、おのれの顎のあたりに位置する子どもの顔を、じっと見下ろした。

育ちのよさそうな白い肌が、袖口や首元からわずかに露出している。頭布とベールに覆われた輪郭は丸く、母と呼んだ声は高い。
子どもは月のような金色の目へ、困惑を色濃く浮かべている。
アサレラは明るい茶色の目をゆっくりと瞬かせ、口を開いた。

「………………きみは、迷子……か?」

「ち……違います!」

子どもは白い頬をさっと赤く染め、恥ずかしげに視線を落とした。

「……あなたが……その、…………亡くなった母に似ていたものですから、つい……」

母と聞いて、アサレラは眉を寄せた。
アサレラにとって母とは、おのれと父を捨て失踪した実母アデリスか、アデリスを目の敵にしてアサレラを虐げた養母コートニーを指す。いずれにしろ、醜悪であることは確かだ。

「そりゃあまた、ずいぶんと物々しい母さんだなぁ」

老人がのんびりと口を挟む。

「いいえ、そうではなく…………いえ、ごめんなさい。ぼくの見間違いだったのです」

子どもはアサレラから手を離し、胸の前でぎゅっと握る。浮かべた微笑は大人びて、どことなく寂しげだ。

「トラヴィス様のいらっしゃるのがオールバニーで助かりました」

オールバニーはコーデリアの王都である。

「ウルティアやサヴォナローラでは、馬を走らせることができませんから」

荒れ地や傾斜の多い大陸西部のウルティア王国や、砂漠の広がる大陸東部のサヴォナローラ王国では、確かに馬を走らせることは難しいだろう。
もっとも、東部には平原の広がるコーデリアも、西部は山が多いのだが。

「……トラヴィス王に用があるのか?」

コーデリア王トラヴィスといえば、アサレラもつい昨日会ったばかりである。

「ええ、トラヴィス様にお伺いしたことがあって……そのためにドナウから来たのです」

ではこの子どもは、大陸中央に位置するマドンネンブラウ聖王国の王都から、トラヴィスに会うためにはるばる来たのか。

――トラヴィス王になにを訊くっていうんだ……あのトラヴィス王だぞ?

トラヴィスは魔物に滅ぼされたセイレム村で唯一生き残ったアサレラを保護し、あろうことかアサレラこそが聖剣を継ぐ聖者であると宣言した張本人だ。
アサレラはトラヴィスに対して一応の感謝はしているが、人を見る目はないのだ、と痛切に感じている。
憐憫と軽侮の入り交じる複雑な気持ちで、アサレラは子どもを見た。

「…………あ、ぼく、もう行かなくては。剣士どの、さきほどは失礼いたしました」

「いや、別におれは……」

子どもは胸の前で小さな両手を組み、目を閉じた。

「あなたの行く先を女神イーリスがお守りくださいますよう……」

「その必要はない!」

思考よりも早く怒声が飛び出し、アサレラの手はおのずと、腰に下げた剣へ伸びる。
グローブに隠されたアサレラの左手の甲には、涙滴を茨が取り囲むような形の痣が刻まれている。

「おれの進む先には誰の守りもいらない――神であれば、なおさらだ!」

セイレム村で炎に焼かれて以来できた痣は、偶然にもイーリス教の紋様と一致した。
父も母も故郷も神も、呪詛のようにアサレラへ災いを振りまくばかりだ。

「…………ごめんなさい。差し出がましいことを申しました」

子どもは、大きく見開かれて満月のようになった目を、やがて悲しげにそらした。

「ではせめて、ぼく個人に願わせてください。あなたの行く先に数多の幸がありますように……」

「あ……いや、おれは……」

二の句を継げずにいるアサレラへ子どもは頭を下げ、ぱたぱたと走り去っていった。
明るい日差しの中へ浮き上がるように紺色の裾が翻り、あっという間に人並みの中へ消えた。

「あの子、ドナウから来たんだろ。マドンネンブラウ人ってのは信心深いからな、あれは純粋に厚意だったはずだ。……兄さんは見たところ、不信心者のようだが」

老人の声には、アサレラの大人げない言動への非難がにじんでいる。

「…………そう、……ですね」

アサレラは神を信じず、神を信じる者を軽んじている。だからといって他人に当たり散らして良いわけではない。まして相手は子どもだ。
決まりの悪さをごまかすべく、アサレラは荒っぽい手つきで兜を外した。
光がこぼれるように、短い銀色の髪があらわになる。

「じゃあ、そのマントと……革袋と、ベルトを」

老人は心得たように、手早く品物を用意する。

「兄さん、もしマドンネンブラウへ行くなら気をつけなよ。あそこは熱心なイーリス教徒が多いからな」

苦い思いでアサレラは布袋から銅貨を取り出した。
銅貨が老人の手へ渡ったとき、老人の背後から恰幅の良い中年女が大股で近づいてきた。

「聖者様じゃありませんか!」

甲高い声に、アサレラはぎくりとする。

「旦那っ、聖者様からお金をいただく気かい。魔王を倒してくださる方だってのに!」

「なんだって?」

「お触れを見なかったのかい、聖者様は銀の髪をした剣士だって!」

「銀の髪…………」

老人が、こわごわとアサレラを振り返る。
アサレラは、購入した品々をひったくるように取り上げた。

「じゃ、じゃあ、おれはこれで」

面倒なことになる前にと、アサレラは素早く踵を返した。

「聖者様! お、お待ちください! どうか、聖者様!」

その声から逃れるように、アサレラは駆け足で王都を去った。