願い星ひとつ

If you don’t wish upon a star, your dream doesn’t come true.

――斉藤杏子は、生きる辛さに耐えられなくなったから、死にます。

そう書き残してから死のうと思ったのに、書けそうなものがどこにも見つからない。
学校で使っているノートはどれも使い物にならない。水にふやけ、破り捨てられ、マジックで落書きされたから。
紙きれでもいい、なにか書けるものを、と引き出しを漁ると、奥に一冊の本がしまわれていた。
紺色と水色のグラデーションがかった夜空に、銀色の星が散らばった表紙は、買った記憶も使った記憶もない。
でも、そんなことはどうでもいい。わたしは一刻も早く死ななければ。
わたしは震える手でボールペンを手に取って、ページをめくった。やっぱり使われた形跡はなく、どのページもまっさらだ。

わたしが受けてきたいじめや、両親のしてきたことも、きちんと書かなければ。そうしないと、なぜわたしが死んだのか、誰にも伝わらない。

机の中に虫の死骸を入れられた。
給食に異物を混入された。

担任は、悲鳴をあげるわたしを、彼らと一緒になって笑った。
父は仕事ばかりで、たまに帰ってくればため息とともにわたしや母の至らなさを罵る。
母は「おまえが弱いからよ」とわたしを殴り、クラスの子は道で会えば挨拶してくれるいい子たちなのだから、いじめられるのはわたしが悪いのだと怒鳴った。

思い返せば、わたしの十二年間は、いったいなんだったんだろう。

わたしが死んで、あいつらに、なんの報いもないのは許せない。
自分の死を書くはずだったペン先が、あいつらへの殺意にまみれる。
死ね、死ね、死ね、殺す、殺す、殺す。
わたしが死ぬ前に、おまえらを、必ず殺してやる!
力任せに書いた文字は罫線からはみ出し、強い筆跡を残した。
死ねや殺すという文字とともに、両親と、わたしをいじめてきた奴らの名を書こうとして、わたしは手を止めた。
そうだ――この本は三年前、姉さんがくれたものだ。

★★★

「杏子、これ」

あの日、学校から帰ってきたら、従姉の千花ちゃんが遊びに来ていた。
いろいろ飛び回っている千花ちゃんと会えるのは、何年ぶりだろう。わたしはランドセルを放りだして、千花ちゃんをわたしの部屋に招き入れた。
お菓子やお茶を出すために一度リビングへ降りて、それからまた部屋に戻ると、千花ちゃんは一冊の本を鞄から取り出した。
真夜中色の空に銀の星が散りばめられて、とてもきれい。
千花ちゃんはひょいとお盆を取り上げてテーブルに載せてから、脇に置いた本をわたしに差し出した。

「おまえにあげるよ」
「ほんと!? 千花ちゃん、ありがとう!」

本を受け取って、表紙を撫でてみる。空の部分はさらさらしているけれど、星はつるつるしている。

「とってもきれい」

中を見ようとしたけれど、鍵が付いていて、開くことができない。

「鍵かかってるの?」
「その本に書いたことは、どんなことでも一つだけ、叶うんだってさ。そんで、願いが叶ったときに、星が流れるらしいよ」

驚いて千花ちゃんのほうを見ると、千花ちゃんは薄茶色の髪を指先にくるくる巻き付けていた。

「あなたの必要なときにだけ開きます、なんて言ってたよ、あのペテン師。夜に駅のほう行くといるんだよね、押し売りまがいが」

千花ちゃんの言うことは難しくて、ときどきよく分からない。

「十中八九、ただの日記帳だろうけどね。でも見た目はかわいいし、鍵がなくてもペンチかハンマーで……」

わたしは本をぎゅっと抱いて、首を横に振った。

「千花ちゃんは……、一つ願いが叶うなら、なにをお願いする?」
「一個? 迷うなぁ、欲しいものならいっぱいあるよ」

金でしょ、名声でしょ、自由でしょ、と千花ちゃんは指折り数えて、それから笑った。

「わたしは……」

お父さんとお母さんに仲良くしてほしい。

「ま、欲しいものがあるなら、流れ星を待つだけじゃだめかもね。星の落ちるところまで行くくらいじゃないと」

そう言って、千花ちゃんがわたしの頭をわしわしと撫でたとき、玄関の鍵が開く音がして、お母さんの帰ってきたことを告げた。

★★★

わたしの目から、とめどなく涙があふれた。
理由は分からないけど、さっきまでのように、怒りと悔しさのせいじゃないということだけは分かった。
姉さんにもらったものを、こんなことに使うなんて。
涙とともに、激しい感情が流れていく。
代わりに現れたのは、わたしの素直な願いだった。

父さんに優しくしてほしい。
母さんに抱きしめられたい。
クラスの子と仲良くしたい。

次のページにそう書こうとして、姉さんが言っていたことを思い出す。
欲しいものがあるなら、待つだけじゃだめだって。
父や母やクラスメイトが改心するのを待っていたら、わたしはいつまでたってもこのまま変わらない。
まずは、わたしから歩み寄ってみよう。それでもだめなら、そのときはそのときだ。
姉さんがくれたこの本には、自分の力では叶えられないことを書こう。
たとえば……。

「姉さんが、海外勤務から、無事に帰ってきますように……」

書き殴った箇所を破り捨てようとして、紙の端がどんどん黒ずんでいくことに気がついた。

「な、なに、これ……!?」

闇が浸食していくように、本はあっというまに真っ黒になり、わたしの指先まで黒くなっていく。
わたしは怖くて、もう本を持っていることができなかった。
風もないのに、ページが勝手にめくられる。
死ね、殺す、という文字が、血を吸ったみたいに赤く染まっていく。

「おまえの願いは叶えられた」

どこからともなく、男か女かも分からない低い声が響いた。
焼かれるような痛みが全身に走る。
言葉にならないうめき声をあげて、わたしは、自分が死んでいくのだということを悟った。
つい数分前までそのつもりだったのに、死の瞬間を目の当たりにすると、怖くて仕方がない。
自分がまだ生きているのだということを確かめたくて、わたしは瞼をどうにかこじ開ける。
赤くなった視界の隅で、光る尾を引いた星が、真夜中の空をななめに墜ちていった。