02/23 黎明へ至る青 第25話

一年経った今「ドラゴンボール超 ブロリー」を振り返る

一年前、「ドラゴンボール超 ブロリー」を観た日、私はあまりのショックに記憶を失って精神が崩壊しました。

なぜなら私がドラゴンボールのキャラクターで一番好きなブロリー・パラガス親子があまりにも改変されていたからです。

あの新キャラクターたちがブロリーとパラガスじゃなかったら「キャラとストーリーは好みじゃないけど戦闘シーンはすごかったね~」で終わらせられたかもしれませんが……。

確か去年も感想を書いたはずですが、サイト改装の際に過去記事はほとんど消してしまいました。

 

というわけで改めて「ドラゴンボール超 ブロリー」を振り返ります。

 

批判的な内容を多分に含みます。
昨年の記憶を頼りに書いているので実際の描写と齟齬があるかもしれません。

 

精神衛生上、当記事を読むべきではない方

  • 当該映画をドラゴンボール史上最高傑作と思っている
  • ブロリーとパラガスはZも超も同一の存在だと思っている
  • チライとレモが好きで、彼らは優しくていい人たちだと思っている
  • 超ブロリーとチライのカップリングが好き

 

私が死にそうになりながら劇場の席を立ったとき、どこかの席から「ふざけんなよ……」という声が聞こえてきたのを覚えています。

シナセンに行く用事がなければ詳しく話を聞きたいところでした。

 

はじめに

私はあの新キャラクターたちをブロリーともパラガスとも思えないのですが、便宜上、当記事では「超ブロリー」「超パラガス」という呼称とします。

当該映画を観た人間に求められている答えはおそらく「超ブロリー純粋でかわいい! 善人のビーツを殺して息子を虐げた超パラガスは死んで当然のクズ! しっかり者の彼女と優しいお父さんができてよかったね! 虐待毒親が死んだ分、これからはたくさん甘やかされてほしいな~」であり、現代文のテストならこれで点を取れるでしょう。

言わないけど。

 

ブロリーとパラガスである必要があったのか

本当にこれは今でも分からないのですが、あの新キャラクターたちにブロリー・パラガスという名前を付ける必要がありましたか?

あの新キャラクターたちの名がピーマとプリカ、あるいはズッキニとスーナでも物語が成立する以上、ブロリーとパラガスである必然性はまったくなかったのではないですか?

映画公開前、原作者の鳥山氏は「小山君の映画を観て、ブロリーファンをガッカリさせないように、既存のイメージを壊さないようにしました」と言っていたような気がするのですが、それで出てきたのが戦いを嫌う心優しいブロリーと小物クズ小悪党と化したパラガスでした。

二次創作でも見たのかな?

ブロリーは奴隷の目の前で故郷の星を破壊する残虐性と、Z戦士をいたぶって笑う凶悪性と、父親の嘘を看破する知性と、自力で感情を抑えようとする理性と、制御から解放されても父親には手を出さない肉親への情と思えるものがありました。因縁の相手であり、同日に生まれた悟空への恨みもありました。

パラガスはゴミのように捨てられても息子の手を離さず、復讐にとどまらない大きな野望を抱き、アーマーを纏い、自分の息子に殺されると知って運命を受け入れました。

すべてなかったことになりました!

こんなことってある?

ブロリーの名を使わずとも、パラガスの名を使わずとも、彼らの生い立ちをオマージュした上で新規キャラを作成すればよかったのではないですか?

そうすれば私のような懐古ファンにうるさく文句を言われることもなかったでしょう。

そもそも、あのブロリーの名を冠するキャラクターに「本当は優しいのに無理矢理戦わされるかわいそうな青年」という設定を付けるなんて、サトシがピカチュウを蹴飛ばして手持ちポケモンをポケモンマスターになるための道具扱いするくらいありえないだろ!

ピカチュウを蹴飛ばすキャラにサトシという名前を付けないでくださいという話です。

 

「正史のブロリー」「真のブロリー」

公開前も公開後も公式やファンが正史のブロリーだの真のブロリーだの言っちゃって、「君たちが好きだったブロリーは小山君がつくった偽物です! これからは超ブロリーが本物だから!」みたいなさ……そういうのやめてくださいよ。

後から出てきたものを実はこっちが本物だって言われたところで全員が受け入れられるわけじゃないんですよ。

原作者がつくったほうが本物でアニメスタッフがつくったほうは偽物という風潮、一理ない。

旧ブロリー・偽ブロリー呼ばわりされたとき、キレてしまいました。

暗黒竜・紋章ファンがDSリメイクの際に「原作を旧呼ばわりするな」と言っていた気持ちがよく分かりました。

そもそも、のっけから原作ともZとも矛盾する内容のものを正史とは思えないのですが……。

 

チライとレモについて

チライは出会ったばかりの他人に理想と正義を押しつけ、あげく浅慮から人を死なせておいてそれを省みることもなく善人気取りです。カラーリングがザマスに似ているので可愛くも見えないし、胸元びよ~んにも媚びを感じました。

レモはチライに賛同するばかりで、惑星ベジータを壊滅させたときからの古参兵ならではの意見などはありません。チライの正義を後押しするだけの存在ですか?

そもそもこの二人がバンパ星に向かったのは冒頭では報奨金のため、ラストでは身の安全のためなのに、なぜ「多少浅はかではあったけど人間の感情的にチライ・レモのしたことは正しい」ということになっているのでしょうか?

それでも「こういうキャラ」と設定された上で他のキャラから言動を指摘もしくは批判されていればここまで嫌うこともなかったのですが、「かわいそうな過去を持つ主人公を救う正義のヒロインと優しい父親役なのです!」みたいな描写がされたら……もう……限界突破ですよ。

上っ面だけ見た正義を掲げていても、シグルド公子やユグドラ王女のような成長・因果応報展開があればまだ溜飲は下がったかもしれません(私はシグルドとユグドラは好きです。シグルドは悲劇にみまわれ、ユグドラは正義の在り方に葛藤していたので)

 

どんな感想を持とうが個人の自由

超ブロリーとチライが恋愛関係確定のように語る人が多くて驚きました。

映画の描写から恋愛感情を見出すことを非難しているのではなく、公式確定みたいに語る人が本当に多かった。

「二人の子どもが早く見たいよね~」と言う人もいました。現時点では結ばれてもいないのに?

その物言いに昔の職場のうざい中年を思い出してしまい憂鬱でした。

私は「父親を死なせた女とも知らずに家族ごっこなんて哀れだな~」「(もし本当に結ばれて子どもができたら)あの両親から生まれてあの環境で育つ子どもがかわいそう」と思っていました。

相手が正しいとか私が正しいとか、そういう話ではありません。

どんな感想を持とうが個人の自由です。そこに正義などない。

あと「チライとレモならZブロリーも救えた!」「Zブロリーが悟空への怨念から解放されなかったのはチライがいなかったから」「ブロリーが救われずに終わる旧作はチライと出会わなかったif」という意見を見て非常にイライラしましたが、感想は個人の自由なので私がどうこう言う権利はありませんでした。その人はそう思ったのでしょう。

ただ「ブロリーはチライ・レモと出会ったところで上っ面の同情には絆されないし、別に救われたいとも思っていない」というのが私の感想です。

 

超パラガスとチライ・レモの行動原理は同じではないか

劇中ではこれでもかというほど「超ブロリーはかわいそう! 超パラガスはクズ! 超ブロリーに救いの手を差し伸べるチライとレモは優しい!」というを感じましたが、私はチライとレモに比べれば超パラガスはまあマシだなと思いました。

超ブロリーを制御したのは自分の身の安全のため、そして絡んできたナンパ男を死なせないためです。

上記の通り、チライとレモがバンパ星に向かったのは冒頭では報奨金のため、ラストでは身の安全のためです。

保身という意味では超パラガスもチライたちも同じです。

なのに方や死んで当然のクズ扱い、方や人間味があってまっとうで優しい人たち扱いです。

超パラガスは嫌がる息子を無理矢理戦わせていたわけではないのに、なぜかチライは「あいつは本当は優しいのに父親に無理矢理戦わされてるかわいそうな奴なんだ!」とほざいていました。

は?

チライとレモが「報奨金のため」にバンパから超ブロリー(と超パラガス)を連れ出さなければ悟空やベジータと戦うこともなく、超ブロリーが戦いをやめられなかったのはチライがリモコンを破壊したせいだったはずですが、そんなことは彼女の頭にはないようです。

 

現実とフィクションの区別は付けましょう

しかし私が「チライとレモに比べれば超パラガスはマシ」と言うと「超パラガスが好きなら親が子どもを虐待死させるニュースも擁護するんでしょ?」と言われ唖然としました。

なにその……なに?

私はチライとレモの偽善者っぷりに比べれば悪役に徹した超パラガスはマシと言っただけで好きとは一言も言っていないのですが、その拡大解釈……なに?

いや、たとえ私が超パラガスを好きだったとしても「Aを好きな人間はBに違いない」みたいなレッテル貼りは恥ずべき行為ではありませんか?

科学的・学術的根拠もないのに偏見で他人を勝手に分類分けし、さもそれが正しいかのように振る舞うのは恥ずかしいことですよ。大学でそんなレポートを書いたら再提出になるでしょう。

なにを好みなにを嫌うのかは個人の自由ですが、自分の価値観だけを正当化しそれに合わない人間を悪とみなすのは醜悪としか言いようがありません。他人の権利を踏みにじらない限り正義は一つではないのですよ。

というか現実とフィクションを混同しないでください。

「現実とミュージカルは違うよ~!」とドクター・エスカルゴンが言っていたように、現実とフィクションは違います。

フリーザ軍所属のキャラを好きな人たちは現実に起きているであろう侵略軍の原住民虐殺を擁護するのですか? FEを好きな人は現実の戦争にも賛成なのですか? 飛沢陽平のシナリオを好きな人は現実で浮気をするのですか? そんなはずはないでしょう。

頼むから現実とフィクションの区別は付けてください。

 

愛するってどんなこと?

「超ブロリーを愛せない奴は真のブロリーファンじゃない、ブロリーそのものを愛せ」とか「ブロリーはまあ分かるけどパラガスはZも超も同じじゃん」とか言われ殺意の波動に目覚めかけました。

本当に同じように見えているのか? あれほど中身が違っていても名前さえ同じなら同じものと見なされるのか?

「Zが好きなのはわかるけど、なんで超ブロリーは超ブロリーでありだって受け入れないの?」とも言われましたが、逆になぜ受け入れなければならないのか? 別にファンの義務でもなんでもありませんよ。

つーか「ブロリーそのものを愛する真のブロリーファン」ってなんなの? ブロリーの名が付きさえすればなんでもいい人たちのことですか?

という憤りを覚えていました。

愛とはなんだ!!!

いまだにその答えは見つかっておりません。

 

怒りの収束

そんなわけで今年の初秋くらいまでは怒り狂っていたのですが、ここ最近落ち着きを取り戻しました。

それは藍坊主のライブのおかげというのが一番ですが、私が考えを改めたというのもあります。

新キャラクターにブロリーとパラガスの名を使われるのが避けられないのなら、むしろこれでよかったのだと思います。

Zのブロリーと同じ人格・性質を持ったキャラクターがぽっと出の新キャラとの友情パワーや愛情パワーで改心したり過去の傷を癒やされたり、Zのパラガスと同じ人格・性質を持ったキャラクターがぽっと出の新キャラに所業を糾弾され死んで当然のクズと見なされた挙げ句に物語の舞台から退場し「最低の毒親が死んでよかったね~」なんて言われているのを目の当たりにしていたら、渋谷で憤死していたかもしれません。街かな?

だからといってあの新キャラクターたちをブロリー・パラガスとして受け入れたとか認めたとか好きになったとかそういうことはありませんので、間違えないでほしい。

そして怒りと恨みを浄化する藍坊主はすごいということだけは忘れないでほしい。

忘年会ライブ楽しみです!

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