Uneasy lies the head that wears a crown.

 魔王パトリスは聖剣レーゲングスの下に散った。
 魔物の脅威は去り、イーリス大陸の未来は明るいものとなるだろう。
 だというのに、アサレラの心は晴れなかった。

「アサレラ殿」

 目の前に聳える塔を茫然と見上げていたアサレラは、その声で我に返った。

「ヴァーレンティーン公子……」

 二人分の白い吐息がたなびいて、ヴァーレンティーンの厳しい眼差しを揺らがせる。暦の上では春を迎えたというのに、北の果ての地はいまだ氷と雪に閉ざされていた。

「公子、わたしは……、本当に、これでよかったのでしょうか?」

 夜明けを目前に控えた世界はなにもかもが青い。アサレラの踏みしめる雪の大地も、背後に広がる凍てついた森も、そして、こちらをじっと見つめるヴァーレンティーンも。

「メイベルやエステバンになんと言えばいいのか……」

――許さんぞ、アサレラ! きさまだけは……! きさまだけは、このわたしが殺してやる!

 魔王パトリスの断末魔が耳朶によみがえる。
 憎しみで赤い双眸を燃やすパトリスは、命が尽きるその瞬間までアサレラに手を伸ばすことをやめなかった。
 アサレラの過ちは、築き上げた安寧をいつか崩壊させることになるかもしれない。
 これは、ともにここまで来た戦友たちへの裏切りなのだろうか。アサレラはかじかんだ指先で聖剣の柄を握った。

「…………オレたちのしたことは間違っていたかもしれない。だが、キミが死ねばエルフリーデ王女は悲しまれる、そうだろう」

 エルフリーデの名に、張り詰めていたアサレラの心がわずかにほころぶ。

「これはイーリス王国とローゼンハイム公国……いや、キミとオレの秘密だ。魔王を破った功績をたたえられ、キミはイーリスの王となるだろう」
「…………わたしは王位などいらない、殿下とともににいられれば、それでいい」

 つややかな青い髪、優しい色を帯びる瞳、アサレラの名を呼ぶ甘やかな声。アサレラの胸が愛しい人の姿を鮮やかに描く。
 アサレラがこれまで戦ってきたのは他でもない、エルフリーデとの未来のためだ。

「王女のそばにいたいのなら王位からは逃げられない。オレはローゼンハイム公、アサレラ殿はイーリス王として、この大陸を導かなくてはならない。」

 そのためには、とヴァーレンティーンが低くささやく。

「……光ある未来に影を落とすまねをしてはならないんだ、わかるな、アサレラ殿」

 アサレラは黙ってうなずいた。こうなった以上、この罪を胸に秘めて生きていかなければならないのだ。

「アサレラ殿、オレはこのまま公都に戻る。王女によろしくお伝えしてくれ」
「はい。ヴァーレンティーン公子も、どうかお元気で」

 うなずいて旋踵しかけたヴァーレンティーンが、ああ、と声をあげた。

「アサレラ殿、最後に一つだけ、聞いてくれ」
「はい」

 真剣な声に、アサレラは居住まいを正す。

「いい加減、殿下、ではなく、王女の名を呼んで差し上げたらどうだ?」
「こ、公子……!」

 思わぬ言葉に頬が熱くなる。身体に力が入った拍子に足を滑らせそうになり、アサレラは慌てて踏みとどまった。
 ヴァーレンティーンはとうとう笑い声をあげた。

「アウレーリエもなかなか名を呼んでくれなかったな。キミも、王女にさみしい思いをさせたくないだろ?」

 こそばゆさに視線を動かすと、東の空が白く燃え始めているのが見えた。

「夜が……、明けますね」
「ああ、そうだな……」

 夜の闇を払い、新しい朝をもたらす暁光が差し込む。
 聳える塔の背後で沖合は青く輝き、明けたばかりの空へ冴え冴えとした薄青色が広がっていく。
 世界を照らす透明な朝の光に、アサレラは目を細めた。
 故国イーリスでは、きっと春の風が吹いているだろう。