第37話 魔人審問(後編)

「なっ、なんだって!? どうして……!」

「宿で部屋を取ってたら騎士たちが来て、フィロに魔人の容疑がかかってる、なんて言って……違うって言ったのに聞いてくれなくて、そのまま連れて行っちまったんだ!」

話しているうちに興奮してきたらしく、リューディアの息が再び上がってきた。

「……なあ、アサレラ。フィロは……ほんとに、魔人じゃないんだよな?」

すがるように見上げる丸い瞳に、アサレラは一瞬言葉を失った。
フィロが魔人であるはずはない。
彼と旅路をともにしたアサレラは、それをよく知っている。
そして、魔力を持つフィロが大衆から魔人と見なされることも、よくわかっている。

「きみは……、フィロが、その、魔人かもしれない、と……思っているのか?」

共有する秘密が露呈しないように慎重に言葉を選べば、リューディアはええと、と言いにくそうに目を伏せた。

「そうじゃねえけど……、けど、見たんだ。あの騎士たちがフィロを連れて行こうとしたから止めたんだけど、そしたら突き飛ばされちまったんだよ。そのときフィロの指先が光って……」

「……!」

「すぐ消えたから見間違いかもしんねえけど……けど、あの光。……どっかで見たような気がするんだ。何年も前……」

伏せた紫の瞳が、憂いの色を湛えて揺れる。いつも明るく朗らかで困難にもめげないリューディアがこれほど悄然としているのを、アサレラは初めて見た。
光。
遥か北の大地に破滅をもたらした、魔王が降らせた光の雨。
七年前にその光を目の当たりにして、そして、フィロが放った一瞬の輝きがあの光に似ている。リューディアはそう言いたいのだろうか。
だけどなにかがおかしい、とアサレラは思惟を巡らせた。
リューディアとともに宿の手配をしようしていたフィロは、突如現れた騎士たちに嫌疑をかけられた。フィロを庇おうとしたリューディアが騎士に突き飛ばされ、そのときフィロの指先が光った。
とすると、なぜフィロは騎士たちに引き立てられたのだろうか。

――クルトでのことを、誰かが見てたのか……?

禍々しい銀の光、すべてを呑み込む赤い炎。フィロとロモロの背負う過去に触れ、復讐のことだけを考えて生きてきたアサレラの内に別の感情が芽生えたあの夜。
いや違う、とアサレラはかぶりを振った。
仮にあの光景を目撃した誰かがいたとして、エルマーがこれまで一度も言及しなかったのは不自然だし、オトマーやミカヤもなにも言わなかった。
それに、こうしているうちにフィロへの判決が下されてしまう。

「きみは東の広場に行ってロモロさんとエルマーにこのことを知らせろ。おれは町長のところに行く」

アサレラとエルマーの立場を利用すれば有罪判決を覆せるかもしれない。だが、事を大きくするようなことをしたくはない。フィロに魔人の疑いがかかった理由はわからないが、有罪判決が下される前にフィロを連れ戻さなければならない。

「リューディア、これだけは信じてほしい。フィロは魔人じゃない、おれたちと同じ、人間だ」

「……ああ、わかった。アサレラがそう言うなら、あたしはフィロを信じるよ」

力強く頷くリューディアの瞳にもう揺らぎはない。頼んだぞ、と言い残し、アサレラは踵を返して大通りへと駆け出した。

 

大通りに人が溢れている。贖罪の車輪へ押し寄せている彼らは、魔人が贖罪を果たすのを今か今かと待ちわびているのだろう。
アサレラは舌打ちを漏らした。
あの輪は魔人と見なされた者の罪を贖うものだ、と店主は言っていた。その方法はわからないが、とにかくあの車輪で罪人をどうにかするのだろう、ということだけはわかる。
一刻も早くゲルツァーの館へ行き、フィロを取り戻さなければ。
ごった返す人々にせき止められ、前へ進むことができない。それどころか、後ろへ押し流されているような気さえする。痺れを切らしたアサレラは、人と人のわずかな隙間をくぐり抜け、脇の路地へ入った。少し遠回りで治安もよくないだろうが、背に腹はかえられない。
昼間だというのに薄暗い路地を駆ける。遠くに見える光へ辿り着けば、ゲルツァーの館は目と鼻の先だ。
そのとき、マントが後方にぐい、と引っ張られ、アサレラはたたらを踏んだ。
なにかがマントに引っかかったのだろうか。
そう思い振り返ると、小さな手がマントを引いているのが視界の端に見えた。
視線を下ろす。そこにいたのは、壁に凭れて座り込む幼い子どもだった。
物乞いの子どもだろうか。以前なら蹴飛ばして終わりだったが、今そんなことをするわけにはいかない。銅貨を何枚か投げつければ満足するだろう、とアサレラは懐を探った。

「あの塔に連れてかれた人は、おにいさんの知り合い?」

思いがけない言葉に、アサレラはまじまじとその子どもを凝視した。
汚れた頬に、すり切れた衣服。男か女かは判別できない。枯れ木のように痩せこけた身体に反し、澱んだ目だけがいやに大きい。

「助けに行くのはやめておいたほうがいいよ。かわいそうだけど、その人はもう助からないから」

「きみになにがわかる!」

気が急いて強い言葉が出る。
しまった、と思ったが、子どもの表情は石のように動かない。

「あの塔は審問所と呼ばれてるけど、ほんとは違う。あそこに入れられた人で無罪になった人は誰もいない。裁判なんて名前だけ」

裁判を行うまでもなく判決はすでに下されているのだ、と。子どもはそう言いたいのだろう。

「おかあさんも燃やされちゃった。おかあさんは、魔人なんか、じゃなかったのに」

アサレラはようやく気づいた。
子どもはなにも感じていないのではない。喪失と絶望の果てに、哀しみも怒りも凍りついてしまったのだ。
だが、アサレラは歩みを止めるわけにはいかないのだ。

「…………そう、か。けど、おれは行く」

「どうして?」

風が吹き抜け、フードが外れる。
露わになったアサレラの銀髪を見て、なにもかもを諦めたような子どもの目が、かすかに見開かれた。

「理由なんかない、おれが、あいつを……助けたいからだ」

 

再び訪れたゲルツァーの館への門は、二人の門番によって守られていた。
割って入ろうとするアサレラを、門番の構える槍が遮る。

「聖者様、いかがされました?」

「緊急の用事なんだ! 町長に会わせてくれ!」

「本日ゲルツァー様とは面会できません。明日以降にお越しください」

「それじゃ間に合わないんだ!」

目の前で交差する槍の柄は、思いのほか硬く揺るぎない。
とっさに聖剣の柄へ伸ばした左手が、先ほど受け取った越境許可証に触れた。
一つの考えが閃いた。うまくいくかどうかはわからない。だが、腹をくくるしかない。

「………………さっき町長に書いてもらった許可証。……判が一つ足りてなかった」

門番が槍を下ろし、顔を見合わせる。ゲルツァーに手抜かりがあるとは思えないが聖者たるアサレラの言うことを真っ向から疑うわけにはいかない、そういう素振りだった。

「…………承知いたしました。ただいま呼んで参りますので……」

「おれが行ったほうが早い! 知っての通り、おれは先を急ぐ旅の途中なんだ」

はっきりとそう言い切れば、門番の一人は怯えるような素振りを見せ、もう一人は諦めたように嘆息した。

「……承知いたしました。聖者様、どうぞお通りください」

 

館の奥、魔人審問の塔は木立に紛れるようにひっそりと佇んでいた。煤けてひび割れた外壁に魔物の触手のような蔦が絡んでいる。手入れが行き届いて清潔な館とは対照的な佇まいに、アサレラの心は微妙に臆した。
それでも、アサレラはこの先に進まなければならない。
錆びた取っ手を掴む。ぎい、と重たい音を立てて、扉が開く。
壁に沿って螺旋を描く階段を上る。灯りのない暗く冷ややかな空間に、駆け上る靴音がいやに響く。
上へ行けば行くほど闇がどんどん濃厚になり、階段を踏みしめているはずの足下すらよく見えない。
やがて、闇の中にぽつりと浮かぶ二つの灯りが見えた。

「ゲルツァーさん!」

確信を持ってアサレラが叫ぶと、灯りが大きく揺れ動いた。

「これは……聖者様ではございませんか。いかがされたのです」

そこにいたのはゲルツァーと一人の兵士だ。
警戒するようにこちらを見る兵士に対し、ゲルツァーは落ち着き払っている。
目を凝らすと、ゲルツァーの背後には暗がりがさらに奥へ続いているのが見える。
この奥にフィロがいるのだろうか。そう思えば、心臓が逸る。

「フィロはおれと一緒に旅をしてる仲間です。魔人じゃない!」

「ああ……聖者様のお連れのかたでしたか。では、処刑するわけにはまいりませんな」

「処刑って……!」

「ですがゲルツァー様、あの者には強大な魔力反応がありました。見逃すわけにはいかないのでは」

「ふむ……、一理あるな」

そのとき、アサレラの背後から複数の靴音が聞こえてきた。

「いた! アサレラ!」

ロモロとリューディアだ。アサレラと同じように、魔人の疑いをかけられた者の行き着く先を聞き、ここまでやって来たのだろう。

「アサレラ殿、フィロは!?」

「たぶんこの奥に……」

ロモロは憎悪に燃える眼差しで、射貫かんばかりにゲルツァーを睨みつける。今にも剣を抜いて斬りかかりそうだ。その鋭利な視線を受けたわけでもないアサレラのほうが竦み上がってしまう。

「お待ちなさい!」

遅れて現れたエルマーが、アサレラの脇をすり抜けてゲルツァーと対峙する。

「エルマー殿下……!?」

驚きの声をあげる兵士にかまうことなく、エルマーはゲルツァーへ詰め寄った。

「ゲルツァー、フィロに魔力反応があったと言いましたね。どのように検査をしたのですか」

何度か呼吸を整えた後、エルマーはゲルツァーをまっすぐ見据えた。

「あれを出せ」

「ですがゲルツァー様……」

「よいのだ」

兵士はいまだ躊躇っているようだったが、逃れる術はないと悟ったのだろう、懐からなにかを差し出した。

「……石?」

兵士の手のひらの上にあるのは、濃い赤色をした、小さな丸い石だ。

「ドーラストーンでございます。魔力に反応すると白く光ります」

エルマーは赤い石――ドーラストーンを手に取った。

「アサレラ、これを素手で握ってください」

「…………ああ、わかった」

右手のグローブを外し、ドーラストーンを握る。
握った指と指の隙間から、白い光が漏れた。

「光っ……た!?」

思わず右手を開く。
アサレラの手の中で放たれる光はランタンよりも強く、壁のわずかな凹凸までもがくっきりと見える。

「ドーラストーンは確かに魔力に反応します。聖術士や魔術士になれるほどの魔力を持つ人間は多くないですが、魔力をまったく持たない人間というのも少ないはず。そもそも、聖術も魔術も、力の源は同じ魔力と呼ばれるものですから」

グローブを填めたままの左手に持ち替えると、石の放つ光が徐々に弱まっていき、やがて元の赤色に戻った。

「どういうことです、ゲルツァー! 父はあなたの行いを知っているのですか!?」

「いいえ王子殿下。陛下はご存じではありません。なにも」

右手のグローブを填めながら、アサレラはゲルツァーを見た。

「陛下が情に篤いお方であることはよく知っています。……ですが殿下、王妃様が亡くなってからというもの、陛下はどこか心あらずであらせられます。以前の陛下であれば、わたしの企てなど、とうに看破していたでしょうに」

ランタンの灯りが揺れて、ゲルツァーの蒼白い顔を赤く照らす。

「レヴィンの民は不安なのです。頼みの聖王家は聖剣に認められず、聖王家とはなんの縁もない剣士……それも外国人に世界の命運を託さねばならない。いつ魔人が現れるか、いつ魔王が滅びるかもわからない。王子殿下、あなた様にその気持ちがわかりますか?」

「だからといって、このような所業を……神がお許しになると思うのですか!」

ちゃき、と、背後から金属音が聞こえた。

「神が許したとしても、オレは許さない」

放たれた細剣の白刃が、ロモロの手元で灯りを受けて赤銅の輝きを帯びる。

「お待ちなさい! ぼくたちは聖者の仲間です、民に示しのつかない行動をとってはなりません!」

「そんなこと言ったってさ、このままじゃフィロが殺されちまうんだから仕方ねえだろ」

リューディアも斧を構え、臨戦態勢を取っている。

「ですが理不尽に暴力で対抗するのは……!」

「……おれに任せてくれ」

アサレラが静かに言うと、リューディアは素直に斧を下ろした。ロモロは剣を納めなかったが、その目はアサレラに託すと伝えている。エルマーは黙ってこちらを見ている。
仲間たちに頷きを返し、アサレラはゲルツァーへ向き直った。

「ゲルツァーさん、フィロは返してもらう」

「確かに殿下のおっしゃる通り、魔力をまったく持たない人間は少ない。ですが聖者様、あの者の魔力反応は異常なほどで……」

「そんなこと、おれには関係ない」

はっきりと言い切れば、ゲルツァーは疲れたように嘆息した。

「魔人どもの魔術の前にわたしたちは無力です。明日にはこの町が、この国が……この世界が滅ぼされているかもしれない。だが、つかの間であってもわたしは民に安寧を与えたい。ローゼンハイム、トラパニ、セイレム、そしてクルト……わたしが守るこの町を、それらの二の舞にするわけにはいかぬのです」

左手を聖剣の柄へ伸ばす。左手の中にあった石が落ち、転がって足下にぶつかる。

「……それはわかった。けどゲルツァーさん、おれはフィロを、みんなを安心させるための犠牲にされたくはない」

言い終わらないうちに素早く聖剣を抜き、刃先をゲルツァーの喉元に突き付ける。

「どうしてもと言うなら、おれはここで魔王の前にあなたを斬る」

「アサレラ!」

背後から飛ぶエルマーの声を黙殺し、アサレラは目の前のゲルツァーを睨み上げる。

「聖者様、ご乱心されたか!」

兵士が上擦った叫びをあげる。
ゲルツァーの表情は変わらない。ただ黙って、おのれの眼下にある聖剣を見ている。まるで、こうなることがわかっていたかのように。

「みんなはおれを聖者と呼ぶけど、おれは綺麗に生きてきたわけじゃない。人を斬ることにだって……躊躇いは、ない」

ゲルツァーが否と応えれば、どんな咎を負ってもアサレラは剣を閃かせる覚悟でいた。
呼吸すら躊躇うような張り詰めた沈黙が場を支配する。

「此度の魔人は、聖者様によって討伐されたと伝えましょう」

それを破ったのはゲルツァーだった。

「聖者様が魔人を討伐したと聞けばみな、しばらくのあいだは安心するでしょう」

ゲルツァーに目配せされ、どこか悄然とした兵士が奥へ消える。
少しの間を置いて、闇の向こうにぼんやりとした薄紫色の光が見えた。

「…………親父、みんな……」

フィロが兵士に連れられて戻ってきたのだ。

「フィロ!」

ロモロがフィロへ駆け寄った。その拍子に手から細剣が落ち、乾いた音が響く。ロモロはフィロの両肩を掴み、顔を覗き込んでいる。なにかを尋ねようとしているものの、言葉が出ないようだった。その傍らでリューディアが剣を拾い上げ、エルマーが怪我はないかと尋ねている。応えるフィロの声に翳りはなく、暴行を受けた形跡もない。最後に見たときと寸分違わぬ姿に、アサレラは安堵し、剣を納めた。

「すみやかにこの町を発たれよ。彼が連行されたところを見た者もいるでしょうから」

ゲルツァーはくるりと背を向けた。

「さあ、行ってください。お元気で」

ロモロに背を支えられたフィロが去り、リューディアがその後に続く。エルマーはゲルツァーを一瞥し、しかしなにも言わないまま立ち去った。
なにか一言残すべきだろうか。アサレラは迷ったが、結局エルマーと同様になにも言わず立ち去ろうとした。

「…………聖者様。あなた様が魔王討伐を果たした日には、わたしは陛下と民にすべてを打ち明け……罪を贖うつもりです」

「ゲルツァーさん、それは……!」

アサレラが振り返ったとき、ゲルツァーの姿はすでに闇の向こうへ消えていた。
闇の中に反響する靴音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。