第17話

 裾のすり切れた、明るい色合いの外套。ごく簡素で動きやすそうな旅装。まったく飾り気のない皮製の胸当ての上へきらきらと透き通った葡萄色の光を落とす首飾りが、いやに装飾的で目を引いた。
 もしかして、とアサレラは目を眇める。おれたちを外国人と見て、道案内の名目で小金をせしめるつもりかもしれない。オールバニーにもそういう子どもがいて、たった数枚の銅貨を得るためにあの手この手を尽くしていたものだ。
 警戒のために沈黙するアサレラをよそに、ロモロは背の低い少女へ目線を合わせるように屈み込んだ。

「そうだが、キミは?」

 ロモロの問いに、そりゃちょうどよかった、と少女が朗らかに笑った。

「あたしもエステバン杯に参加すんだけど、闘技場の場所がわかんねえんだ。一緒に行ってもいいかな」
「え……、きみがか?」

 思わずアサレラは口を挟んだ。

「死んだ師匠が、強くなるには自分の実力を知ることが大事だってよく言ってたからさ」

 そこでアサレラはようやく気がついた。外套に覆われた少女の背に、巨大な斧があることに。
 もの言いたげなアサレラの視線に気がついたのか、少女は背中の斧を軽々と掲げてみせた。

「この日のためにぴっかぴかに磨いといたんだぜ!」

 きらりと光を反射して刃を輝かせる斧は、護身用とは言いがたい。カタニアでも売られていた、ウルティアの戦士たちが使うであろう戦斧だ。
 アサレラは慌てて腕を伸ばした。

「やめろ、こんなところで出すな! 危ないだろ!」

 掲げられる斧に気がついた通行人が、ぎょっとして早足に去って行く。アサレラたちを避ける流れがあっという間に形成された。

「あ、そっか」

 悪びれもせず、よいしょ、と軽々担ぎ直すところを見ると、斧の扱いには相当手慣れているようだ。長身であっても花の茎のようにひょろりと痩せたフィロよりは、彼女のほうが実戦的だろう。

「ま、そんなことはどうでもいいや。闘技場まで一緒に行ってもいいだろ?」
「ああ、かまわないよ」
「ロ、ロモロさん」

 ロモロが少女へ微笑を見せる。
 慌ててアサレラはロモロへ近づき、その耳元へ顔を寄せた。

「信用するんですか? このガキ、どう見てもウルティア人でしょう。外国人に自国の王都の案内を頼みますか?」
「確かにそうだが……彼女も王都の地理には明るくないのだろう。アサレラ殿も、コーデリアのすべてを知っているわけではないだろう」
「そ、それは……そうです、けど」

 アサレラだって、王都オールバニーを隅々まで知り尽くしているとは到底言えない。むしろ知らないことのほうが多いだろう。

「アサレラ殿が心配するのもわからないでもないが、子どもはそんな悪だくみはしないだろう」

 果たしてそうだろうか。
 この明朗な少女が腹の底へ薄暗い算段を抱えているようには確かに見えないが、だからといって見た目で判断するのは得策ではない。

「でも、とにかく断りましょう。なにか……企んでるかもしれませんから」

 ロモロの返答を待たず、アサレラは少女へ向き直った。

「闘技場の場所なんて、見ればわかるだろう。おれたちと行くまでもない」

 少女はアサレラの指した先を見ようと懸命につま先立ちをしたが、やがて諦めたように踵を下ろした。

「うーん。……よく見えねえ」

 確かにアサレラの胸部ほどまでしかない背丈では、どれほど背伸びをしたところで坂の上は見えないだろう。

「一緒にそこまで行ってくれさえすりゃいいんだって」
「け、けどな、おれたちは先を急いで……」
「そいつに賛同だ」

 静かな声がアサレラの言葉を遮る。アサレラは肩越しに背後を振り返った。

「どこの馬の骨とも知れないガキはほっておけ」
「フィロ……、おまえな、馬の骨はないだろう……」

 呆れたようなロモロの声から一拍置いて、そいつ、というのが自身を指していることに、アサレラは気がついた。

「…………馬の骨ってなんだ?」

 少女が首をかしげ、その拍子に二つ括りの金髪が肩先で跳ねた。

「…………素性の知れないクソガキと行く義理はない」

 無表情のまま、フィロがわざわざ言い換えた。
 優しいのか優しくないのかわからない奴だ――いや、優しくはないな、断じて。アサレラはすぐに思い直した。

「素性か。なるほどなあ。おめえ難しい言葉知ってんだな」

 クソガキ呼ばわりに堪えた素振りもなく、少女は頷いた。

「あたしはリューディア。死んだ師匠はノーラっつって、斧の達人だ。お袋は確か……ドロテーアで、兄貴は……ディー、だったかな。親父は知らねえ」

 アサレラは唖然として少女を見つめた。

「これでいいか?」

 良くはないだろう。
 アサレラがフィロのほうをそっと窺えば、憂いを帯びた青緑の瞳の奥で困惑のような色がわずかに息づいている。やはりフィロはそんなことを訊きたかったわけではないのだろう――当たり前だが。
 やけに得意げなこの少女に、なにを言うべきか。思索するアサレラの横で、白いマントが柔らかに揺れた。

「ああ、では行こうか。リューディア殿」

 その動きを目で追えば、ロモロが少女――リューディアへ、フィロと同じ色の目を細めて笑いかけている。それから憮然と立ち尽くすアサレラとフィロへ向き直り、困ったように苦笑した。

「まったく、フィロもアサレラ殿も大げさだな。たかだかそこまで行くだけだというのに」

 呆れと慈愛の混ざった声音に、胃が重くなるのをアサレラは感じた。
 なぜこんなに苦しいのか、わからないまま、アサレラは片手で腹部を押さえた。

 突然、後頭部へ軽い衝撃が走った。

 目の前で薄い紫色が波打つ。フィロは追い抜きざまにアサレラをちらりと見下ろし、髪を払った。

「さっさと行くぞ」
「……なぜ殴った!?」

◇◇◇

 水平線の果てへ落ちかかる夕日が、闘技場の石壁を、まばらな人影を、崖下の海を、そのすべてを赤く染め上げている。
 岩にぶつかる波しぶきの音を聞きながら、アサレラは闘技場を見上げた。
 石を積み上げて造られたフラウィウス闘技場は存外に大きく、こうして目の当たりにすると威圧されそうなほどだ。

「助かったぜ、ありがとな!」

 黄金の光の中で、リューディアが屈託なく笑う。

「じゃ、あたしは手続きしてくっけど、おめえらは? まだなら行こうぜ」
「そうだな、わたしも行こう。二人にはここで待っていてもらおう」

 リューディアの視線がアサレラの腰に下がった剣へ落ち、それからアサレラの顔に向かった。

「おめえは出ねえのか?」

 アサレラは足下で長く伸びる影へ視線を落とした。
 リューディアはただ、剣を下げているアサレラが出場しないことを不思議に思っただけで、見咎めるつもりなど微塵もないのだろう。
 なんの含みもない言葉に胸が痛むのは、アサレラに思うところがあるからだ。

「剣士様!」

 その声に、ロモロがぎくりと肩をこわばらせる。
 視線を上げ、アサレラは開きかけた口を閉ざした。
 闘技場の入口から現れたウルティア兵のイスベルが、こちらへ向かって駆けてくるのが見えたからだ。

「イ、イスベル殿……」

 ロモロが引き攣った声を出す傍らで、フィロが眉をひそめる。

「約束通り来てくださいましたのね。信じていましたが、思ってたより遅いものですから……心配しましたわ」
「そ、それはかたじけない」

 ロモロがじり、と後ずさる。
 イスベルが近づいてくる。
 さらに後ずさったロモロがとうとうアサレラの隣まで下がったとき、ロモロが低くささやいた。

「アサレラ殿、あとは頼む」
「なにをですか」

 なんのことかわからずにアサレラが問い返すと、ロモロは口早に告げた。

「わたしはリューディア殿とともに出場手続きをしてくるからアサレラ殿、彼女の対応を頼む」

 どこか焦っているような様子に、アサレラは昨晩のことを思い返した。
「…………ロモロさん、もしかして、イスベルが嫌いなんですか?」

 ロモロがイスベルへ示した態度は、フィロはもちろんアサレラへの態度と比べてもずいぶんぎこちなかった、ような気がする。

「い、いや、嫌いというわけではない。ただ…………」

 アサレラとロモロがぼそぼそ話していると、イスベルとリューディアがいつのまにか会話に興じていた。

「あなたはノーラ様の弟子のリューディアね。あなたも出場するの?」
「そうだけど……おめえ、師匠のこと知ってんのか?」
「ウルティアの女戦士でノーラ様を知らない者はいないわ。あたしのような斧使いには特にね」

 ロモロの背後へ回ったフィロが、こちらを見ないままぽつりとつぶやく。

「……親父は女が嫌いだからな」
「え? ……女?」

 その言葉にアサレラが問い返そうとしたとき。

「おっちゃーん、そろそろ手続きしに行こうぜ。受付が終わっちまう!」

 イスベルと話し終えたらしいリューディアが、こちらへ呼びかけてきた。

「では任せたぞ、アサレラ殿」

 どこか安堵した様子のロモロが言い残し、フィロも当然のようにロモロへついて行く。

「じゃ、またな兄ちゃん!」
「あ、ロモロさん、フィロ……!」

 リューディアが高く上げた手をぶんぶんと振るのにつられて、アサレラも思わず手を振り返す。
 三人の姿が遠ざかっても、イスベルはこの場に留まったままだった。

 てっきりロモロとリューディアについて行くと思ったのに、アサレラになにか用があるのだろうか。
 アサレラとしても、イスベルとはなるべくなら関わりたくはないというのが正直なところである。

「皆さんの宿をお取りしておきましたから、今晩はそちらでお休みください」

 こちらの思惑も知らず微笑するイスベルを、アサレラはじっと見る。
 ロモロを出場させたいイスベルが、妙なことを仕掛けてくることはないはずだ。フィロを害すれば、それこそロモロはエステバン杯どころではない。イスベルはロモロを薄情な人間とは思ってはいないだろうから、アサレラになにかをしてくることもないだろう。
 一瞬で思惟を巡らせたアサレラは、慎重に口を開いた。

「それは、ありがたいですが……」

 そうしてから、文句の一つも言いたくなってしまう。

「イスベルさんがモレイリャ街道の門番にも言っておいてくれれば、もっと早く来れましたよ」
「あら……それは申し訳ないことをしましたわね。けれど、あの通行料をお支払いできないほどお金がないのですか?」

 率直な物言いに、アサレラは、ぐ、とうめいた。

「……でも、よく考えたらそうですわね。聖者様は清貧でいらっしゃるはずだもの」
「いやおれは、せ…………」

 今、イスベルは、なんと言った?

 アサレラの探るような視線にも怯まず、イスベルはにっこり笑った。

「もしかして隠しているつもりだったのかしら? 前髪が見えてますし、そもそも町中でそのフードは怪しくて逆に目立ってますわよ」

 あまりの言われように、アサレラは沈黙した。

「ウルティアの人間は粗忽者ばかりですから、誰も気づいてないと思いますけど。秘密にしておきたいのなら、黙ってましょう」

 アサレラはうなだれ、喉の奥からどうにか声を絞り出した。

「………………助かります」

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