012:同行者

 ロモロは、アサレラのグラスが空になると、すかさず注ごうとする。アサレラが遠慮しても、親しみ深い笑顔とともにアサレラの警戒心をほどいてしまう。
 注がれるままに飲み干していった結果、アサレラは、これが何杯の葡萄酒なのかわからなくなっていた。

 だんだん酔いが回ってゆくのが分かる。
 心地よさをともなう酔いは、怒りと屈辱を紛らわせるための、薄めに薄めた葡萄酒や安い麦酒がもたらすものとは、まるで異なる。身体の芯が浮ついて、堅いところへ水が染みていくようだ。

「フィロ、きみっていくつなんだ?」

 いつになく口が軽やかに動くのを、アサレラは感じていた。
 こんなふうに、とりとめのない雑談を仕掛けるなど、今まではありえないことだった。そもそも十三年間、まともに話す相手はほとんどいなかったのだが。

「…………なぜ」

 青を帯びた緑色の目がアサレラを一瞬とらえ、すぐに伏せられる。

「いや、理由はない。ただ未成年なのかと思って」

「…………そう見えるのか」

 フィロも気軽に応じるようにはとても思えないが、何日も捜していた父親と再会し、彼なりに気持ちがやわらいでいるのかもしれない。

「見えないけど……それ、水だろ?」

 フィロの持つ、露のついたグラスの水底には、鮮やかな果実が透き通っている。
 色づいたように見える水を一口飲み、フィロは口を開いた。

「……この冬で二十歳になる」

 ということは八六七年生まれだろう。

「おれの一つ上か。じゃあ飲めることは飲めるんだな?」

「あまり……好きじゃない」

 フィロの指がグラスの中のオレンジをつまみ、皮を剥ぐ。
 つややかに濡れた果肉を頬張るフィロを、なんとなしに眺めていたアサレラは、ふと思いついて視線をわずかに横へずらした。

「え? ……じゃあ、ロモロさんは?」

 父の名を聞いたフィロの視線が、アサレラへ向けられる。

「だってきみは今年二十歳なんだろ。ロモロさんは三十代じゃないのか?」

「…………三十代にも、三十から三十九まであるだろう」

「まあ……そうだけど」

 アサレラとフィロの会話の聞き役に徹していたロモロは、自身が話題へのぼっていることに気がついたらしく、どこか困ったような笑みを浮かべた。

「わたしは三十六だ」

「えっ」

 アサレラの手の中で、なみなみ注がれた赤い葡萄酒が揺れた。

「け……、計算おかしくないですか? フィロが二十歳でロモロさんが三十六だと……ええと…………」

 今のアサレラよりも三歳下、つまり十六歳のときに、子どもが生まれたということになる。

「わたしの故郷は田舎だからな。それぐらいでの結婚もおかしいことではなかったんだ」

「おれの出身も相当な田舎ですよ」

 とは言ったものの、村人たちがいくつで結婚していたかを、アサレラは知らない。

「……というか、十六歳でも結婚できるんですね」

 成人年齢は十七歳だが、飲酒と労働は十五歳で認められている。結婚も未成年のうちに可能だと思えば、さほどおかしいことではないのだろうか。

「でもそれって……」

「それより、アサレラ殿は聖王都ドナウへ行くんだったな?」

 今までの温和な振る舞いからは考えにくい強引さで、ロモロは一方的に話を切った。
 あまり触れられたくないのかもしれない。

「はい、明日出発するつもりです。……ドナウへ行くのは、気が重いですが……トラヴィス王にそう言われましたから、行かないわけには」

 深く追求するつもりもなくアサレラが肩をすくめると、ロモロはあきらかにほっといた様子で、グラスを傾けた。

「なぜだ? ドナウは大陸最大の都市だ、いろいろ珍しいものがあるだろう。食事はウルティアやコーデリアのほうが上だが」

「マドンネンブラウはイーリス教徒が多いと聞いたので……」

 イーリス教と教徒による苦い重いは、いまだ尾を引いている。

「それに、マドンネンブラウ王に謁見して、なん……ナントカ大聖堂にも行かないとならないですから」

「…………イヴシオン大聖堂だ。大陸最大の……」

 アサレラは膝を打った。

「そうだった、イヴシオンだ。イヴシオン大聖堂で……聖剣を抜けるかどうか、確かめてみればいいんだったな」

 おのれへ言い聞かせるように、アサレラは呟く。

「ともかくアサレラ殿、聖王都へ行くのならば、わたしたちもともに行かせてもらえないか?」

 思ってもみなかった申し出に、アサレラは目を丸くする。

「コーデリアへは今、マドンネンブラウ経由で帰るしかない。アサレラ殿はコーデリア王の親書を持っているのだろう?」

 確かに、トラヴィスのしたためた文書を持っているアサレラの連れともなれば、通行許可証がなくとも容易に越境ができるだろう。アサレラは得心してうなずいた。

「わかりました。ドナウまで一緒に行きましょう」

「ありがとう、助かる。では今夜はここに泊まり、明朝出発しよう」

 アサレラは、食事を終え広くなった卓へ地図を広げ、カタニアから伸びる一本の線を指先で叩く。

「ドナウに行くならこのルートが最短ですよね」

「ナバラ街道だな。確かにそれが一番近い」

「じゃあ、この道を通ってマドンネンブラウに入って……」

 アサレラが地図上の線をなぞると、背後でひときわ大きな声が響いた。

「おめえさんら、よそもんだな? この時期は周辺の街道は通行制限してんぞ」

 肩越しに、声のしたほうへ振り返ると、葡萄酒のグラスを手にした屈強な男二人が、こちらを向いていた。

「エステバン杯はあさってだからな。ドナウに行きてえならパレルモから行くしかねえぞ」

 二人の男は、どうやらアサレラたちへ話しかけているらしい。

「……エステバン杯?」

「知らねえのか? パレルモにある王立闘技場フラウィウスだよ! そこで仮面武道会をやるんだ。国王陛下もご覧になるエステバン杯だよ」

「そうそう! 俺も出る予定だから、応援よろしくな!」

「バカ、おめえが出たところで予選落ちだよ!」

 周囲でどっと笑い声が沸く。
 天井を突き破らんほどの野太い笑声に、アサレラの肩が跳ねる。
 男たちは優勝杯が誰の手へ渡るのかを、めいめいの好きに主張をし、挙げ句の果てに賭けを始める。

「エステバン杯……そうか、そういえばこの時期だったか」

「…………七日続くやつだな」

 背もたれに肘を掛けたまま唖然としていたアサレラは、その声で我に返った。

「えっ、二人とも知ってたんですか?」

「…………名前だけは」

「ウルティアの建国王の名を冠した、ウルティア最大の武道会だ。国内外から猛者が集うのだとか」

 どうやら存在すら知らないのはアサレラだけだったようだ。
 ロモロはともかく、フィロがこういった知識を有しているのは意外だった。神にも戦いにも興味がなさそうで、コーデリアからウルティアへ行くのにも迷っていた男が、外国のことを知っているとは。

――たぶん、おれがものを知らなすぎるんだろうな……。

 今までは、戦えさえすれば生きていけた。アサレラに必要だったのは教養ではない。殺すための剣と、過去を忘れないための怒りだ。
 この先はそうもいかないだろう。人と関わるために必要なものや社会常識が、アサレラには著しく欠けている。このままでいいのかと思うと、暗澹としたものが胸へ広がり、とどまることを知らない。
 もっともフィロやロモロは、アサレラのもの知らずを――違う意味で――気にしないだろうが。

――けど、ずっとこの人たちと一緒にいるわけじゃないしな……。

「ではパレルモを通ってドナウへ行くことにしよう。多少遠回りだが」

「そ……そうですね」

 呆けていたせいで、声がかすれてしまう。
 アサレラは、もう一度地図を眺めた。最短ルートである街道が通れない以上、少しばかり迂回してでもパレルモ経由で行くほうが賢明だろう。
 地図を折りたたんでいると、すぐ背後でかつんと高い靴音が響き、アサレラははっと振り返る。
 薄暗い青の髪をした、三十代前後の女性が立っていた。

「ようやく見つけましたわ!」