005:光の雨、流星のごとく

 夜が明け、辺りが明るくなると、二人はすぐさまカタニアへ向けて出発した。

 並び歩くアサレラとフィロのあいだには幾分かの距離がある。
 もともとアサレラは饒舌ではないし、フィロはアサレラに輪を掛けて無口、おまけに無表情で無愛想なものだから、会話が弾むはずもない。セイレムを出発して数刻、魔物と遭遇することもなく、二人は無言で歩き続けていた。

 それにしても、と、アサレラは隣を歩くフィロの横顔をちらりと見る。
 痩身でいかにも体力に乏しそうなフィロだが、息を乱さず歩幅をゆるめず、セイレムを経ったときと変わらぬ調子で足を進めている。
 昼を目前にした明るい日差しが薄紫の髪や白い肌を燦々と照らすさまは、薄氷を光に透かすようで美しい。纏う上衣の濃い赤色がフィロの色彩をますます淡く浮き上がらせ、まさに透き通るようだった。

 高く澄む空を仰ぐと、朝の日差しは磨き上げられた銅貨のようにまぶしく、アサレラは目を眇める。
 朝よりも気温が上がり、常に戦いの中へ身を置くアサレラであっても辟易とする陽気になっている。
 鎧が熱を持って熱い。マントに熱気がこもっている。全身から汗がにじみ出て、動くたびにシャツやズボンが肌へ張り付く。

 一方、フィロの白い額には汗一つ浮かび上がっていない。鎧を身につける長袖のアサレラと、半袖のフィロという違いはあるにしても、だ。

――こいつの周りだけ、暑さが消えてるわけじゃないだろうな?

 バカバカしくもそう思わずにはいられないほど、フィロは冷涼な空気をまとっている。

「…………暑いな」

 独りごち、アサレラはフィロをじっと見つめた。彼を眺めていれば、せめて気分だけでも涼しくなるかもしれない。
 アサレラは、すっかり温気にまいっていた。
 やにわにフィロが振り返り、青緑色の瞳と視線が合う。

「……なにを見ている」

「いや、別に……あ、そうだ。きみはローゼンハイムって行ったことあるか?」

 フィロはちらりとアサレラを見て、すぐに顔を前方へ戻した。

「………………ない」

「そうか。おれもないけど、夏は涼しくていいだろうな……」

 大陸の南に位置するコーデリアは、秋であっても日差しが暖かく、日中は夏のように暑い日さえある。
 かつて夏の暑さにうなされたとき、アサレラはローゼンハイム公国へ思いを馳せた。一年の大半が氷と雪に閉ざされるという北の果て。ローゼンハイムへはマドンネンブラウから船で向かうしかないと知った後も、いつか行ってみたいと思っていた。
 だが、無情にもローゼンハイムは魔王の手で滅びた。
 ローゼンハイムが滅亡したのはイーリス歴八八〇年の夏、人々が寝静まった夜半のことだったという。
 あの夜アサレラは、有り金を使い果たして宿泊はおろか食事すらままならなかった。空腹を抱えてオールバニーをさまよっていると、建物の外壁に阻まれる路地裏を偶然にも発見した。先客がいないことを何度も確認し、剣を抱えてその隅で眠りについたのだ。

「……光の雨、流星のごとく降りて、氷雪の地を滅ぼさん」

 ぎょっとして、アサレラの足は止まった。ブーツの底が地面にこすれ、ざっ、と音を立てる。

「ど、どうしたんだ、急に」

 いつから詩人になったのかと、アサレラは端正な横顔をまじまじと見る。
 フィロは表情を変えぬまま、アサレラを横目で見やった。

「……そういう歌があっただろう」

「…………? ああ、そういえば……」

 記憶の糸を手繰ると、酒場で吟遊詩人がそんなふうに歌っていたような記憶がある。
 北西の空がまがまがしい光を放ち、辺り一面が真昼のように明るくなった刹那、おびただしいほどの光の雨がローゼンハイムへ降り注いのだ、遠く離れたコーデリアにまで届く強烈な光はまさしく邪悪なる魔王の所業だ、と。
 その歌を聴いてもなお、アサレラはローゼンハイムが滅びたという実感に乏しい。人々を震え上がらせた例の光を見ていないからだ。

「…………ローゼンハイムは滅びた」

 アサレラの思いを見透かしたように、フィロがつぶやく。
 アサレラが隣を窺うと、フィロはどこか遠くを見ていた。

「……そうだな」

 アサレラは再び足を踏み出した。
 それからしばらく、二人は無言で歩き続けた。
 水気を含む風が、ひときわ強く吹き抜ける。アサレラの銀色の短い髪を揺らし、フィロの薄紫色の長い髪を波打たせる。マントがはためき、裾がめくれあがった。
 もうすぐダルウェント川か、とアサレラが思った矢先、水の流れる音がかすかに聞こえた。

「…………ダルウェント川か」

 どうやらフィロにも聞こえたようだ。

「そうだ。思ったよりも早く着いたな」

 太陽はすでに天頂へ差しかかっているが、つつがない道程であったためか、予定していたよりも早い到着となった。

 アサレラの視界の先で、蛇行する青い線がなだらかに走り、その先には生い茂る林と小さな町影がぼんやりと見える。ダルウェント川とカタニアの町だろう。
 音源であるダルウェント川へ、アサレラは足早に向かった。フィロも無言でその後に続いた。

 そうそうと流れる川の音が、次第に大きくなる。
 ほどなくして川べりへたどり着いたが、肝心の橋がない。

「おかしいな。前は確かこの辺に……」

 せせらぎは涼しげな音を絶え間なく響かせている。
 以前は間違いなくこの辺りに吊り橋があったはずだと、アサレラは辺りを見渡した。

 アサレラの目に留まったのは、一本の木だ。

「……………な……なんだ……これは」

「……………………これが……橋か?」

 川の対岸同士を結んでいるのは、どう見ても無造作に横倒された木であった。
 もの言いたげなフィロの視線を黙殺し、アサレラはその木を見下ろす。特別大きいわけでも頑丈そうなわけでもなく、成人男性が体重をかければへし折れそうだ。

「………………とりあえず……これで渡るしかないな」

 以前アサレラがダルウェント川の付近を通ったとき、例の吊り橋はかろうじて橋として機能してはいたものの、今にも崩壊しそうなほどにボロボロだった。それがとうとう壊れて撤去されてしまったのだろう。あれから十年近く経つのだから当然ともいえる。
 コーデリア西部は山ばかりで、町や村がほとんどない。ゆえに橋の利用者も、当然少ない。セイレムが滅びた今となってはなおさらだ。渡る人間のない橋が壊れたところで、新しくこしらえる必要などない。そう思えば、対岸へ渡れるだけの木があっただけ、幾分マシというものだ。
 そうおのれへ言い聞かせ、アサレラは「橋」へ慎重に片足をかけた。